9月17日(土)
朝、4:30 めざまし時計の音がけたたましく鳴り始め、暫く気付かなかったようですが意識の中で今日が何をする日か思い出すのに少し時間が掛りました。

40年前このイベントが始まった時は、金曜日に仕事が終わるとキャンプの準備をし、と言っても碌な物は持っておりませんでしたが。
風呂に入り、夕食を済ませ、何にも知らない子供達は寝る為に2階へ上がって行き、家内は夕飯の後片付けをしたりしている時、バイクに乗る支度をし、そうでした!まだお袋が生きてました。
「気を付けて行ってくるんだよ」と送り出して貰いましたよ。

そして9時頃に萩中公園の駐車場に行くと、当時のハネホンのスタッフ、参加するお客さんがゾロゾロと集合して来ました。
50㏄に乗った16~7歳になったばかりのお客さん達が5~6人おりました。
不思議と125㏄はおらず、250㏄、400㏄、750㏄が少々、碌に人数も数えずにスタートしました。
全く無謀といえば無謀ですが、何キロ先かも考えてなかったのでしょう。

このアイディアの出発点は、当時、ホンダが毎年夏に鈴鹿で行った『ホンダ セイフティークラブ ミーティング』に80台以上で参加しテントを20張位いただいた為、これを使って何かやろう!という事からでした。

行き先は福島県裏磐梯。
そこでキャンプして帰って来るという事位しか決めていなかったのです。
私の両親の出身が福島県で、私も太平洋戦争中は現・伊達市梁川町に疎開しておりました。
何と無く小原庄助さんの磐梯山から連想したのでした。

たしか9時か、10時頃出発しました。
ゾロゾロと走りだし、首都高に向かいます。
え?あれ??原付が首都高を走れるの???
やっちゃったのです!ごめんなさい。
(㊟まだ世の中がおおらかな時代の話です。絶対に真似をしないで下さい。)

料金は、全台数分間違いなくまとめて私が支払いました。
原付で首都高を走った若者達は、今は立派に成人し、店へ遊びに来てバカバカしい話に爆笑しております。

私はホンダ HarkⅡオートマチックに乗って、一緒に走ってました。

上野で首都高を降り、4号線を一路北に走ります。
コンビニや道の駅などの無かった時代、何処で休憩したのか思い出せませんがただ走るだけです。

当時はこの時期、夜中に雨が降りました。
雨の中頑張って、白々と夜が明ける頃には雨が上がり、やっと白河付近でした。
ここでR294に入り、相変わらず北上。
途中、勢至堂峠という峠の上の方に砂利道のヘヤピンコーナーがあり、内側のラインを取った人はエンジンが支えてしまい転倒したものです。
現在はトンネルが出来て楽になりましたよ。

そして県道6号から県道9号を猪苗代湖に沿って走り、R49に突き当たり左折し猪苗代湖駅に向かってR115に入ります。
そのまま旧道を北上し、街並みを抜け、県道2号からR459を登って行くと裏磐梯の中心の三叉路に到達します。

やっと着くと、昼を過ぎていたと思います。
何処のキャンプ場かも記憶にはありません。
無我夢中だったのでしょう。

こんなスタートで裏磐梯キャンプツーリングは始まり、以来40年続けてまいりました。
当時の若いお客さんは頑張って走ってくれました。
あんな悪路を小さなバイクで走った彼等は、素晴らしいパワーとバイタリティーを持っていた様に感じます。

40年を経て、私も相当衰えてきた感じですが、今年も起きて準備を始めます。
スタッフの予定は5:30にハネホンSG前に集合です。
準備完了、出発です。

道路が結構混んでおります。
何時もの土日の通勤時より混んでいるようです。
3連休だからかな?

SGに到着し、私と娘達2人とその子供達2人。
スタッフはモトラッド店長・野崎とSGスタッフ4人が全員集合しました。

いざ萩中公園駐車場へスタートの時、前夜モトラッドの事務所に置いた私のヘルメットとグローブを取って来てくれと頼むと、鍵が無いという事で致し方なく、私が自宅に鍵を取りに戻り、後から追掛ける事にしてまた逆戻りです。
今日はわざわざ鍵を持ち歩く必要なしと考え、自宅に仕舞ってきたのが悔やまれます。

我々を入れて総勢80名となる大イベントを、この少数のスタッフで何とか切盛りできるのは
当社のGMがアウトソーシングを採り入れたからです。
知合いのシャンティーカレーさんに夕食と朝食のケータリングを依頼して当社スタッフは全員収容するテント、イス、テーブル、照明の設営と大キャンプファイヤー飲み物、簡単なサラダ、焼き物を担当しております。

私は自宅に戻り、家内を起こして鍵を出して貰ってから再度、会社に戻り準備をしていると、遅れてしまったKさん親子が店頭に現れました。
そして3台仲良く、再スタート!
首都高に入りますが3連休の為、本当に混んでおり、所々ですり抜けをして行く様な状況です。

今日は東北道経由ですから、荒川沿いに北上します。
常磐道との分岐を過ぎると渋滞が緩和され走れる様になります。
そのまま岩槻ICまではいつもの週末の感じで走り、羽生PAに入り本隊を探しますが既に出発した様子。

我々もトイレを済ませ、飲み物とパンを買って食べ、休息後に出発。
次は那須高原SAです。
のんびり走って行ったので、バイクの多く止まっている辺りに本隊は無し。

天気は快晴!
休憩後、すぐの白河ICで東北道を降り、4号線を少し走ってから左折なのですが昔はR294に曲がる所に農協があったな等と考えていると、勘違いしてしまいました。
R289の交差点の手前で左折し、R281に行き本来のR289に戻りチョット遠周りとなってしまいました。
Kさん、ごめんなさい。

この通称甲子道路が10年位前に開通して、会津西街道へは非常に便利になりました。
辺鄙な地域が少しずつ変化して来て、大内宿などは大繁盛で混んでおります。
甲子トンネルを通過し「道の駅しもごう」を上から見渡しましがやっぱりバイクの集団は見えず、寄らずに先を急ぐことにしました。

ここの下りが危ないんです!
いつも快調に飛ばすバイクを狙って、白バイが待ち構えております。
今日は幸い見ませんでした。
昼休みに入ったのかも?

R121の交差点を右折し、会津方面に向かうと食べ物屋さんが増えてきて車、バイクが沢山停まって繁盛してます。
会津鉄道が右下を走っております。
湯の上温泉駅には、藁葺き駅舎で有名です、駅に足湯もあります。

この先からR118に名称が変わり、阿賀川に沿って行き芦ノ牧温泉の橋を渡ると“ドライブインあいづ”があります。
既に広い駐車場は、数十台のバイクと10数台の車が整然と駐車しておりました。
やっと本隊に追いつきました。

ここは40年前の帰路に通過し、昼食を摂って以来、毎年お世話になっております。
デカく分厚いトンカツのかつ定食、おかみさん自慢のラーメン、ざる蕎麦がお勧めです。
但し、トンカツのボリュームは半端でなく、大盛は余程の大食漢以外はご遠慮した方が良いとご忠告いたします!
毎年広いお店を占領してしまう我々の為に、この日だけアルバイトとして他所で働いている子供達や親類のおばさんが手伝いに来てくれています。

今年もキャンプ用に野菜やスイカ等を頂きました。
ありがとうございました。

昔、バイトで手伝っていた女学生はマスターのお姉さんだったそうです。
親父さんは駐車場で、ゴザの上に栗を富士山型にして升で測って売っておりましたが今は山にクマが出るのと人手が無く休業との事でした。

さて、お腹いっぱいとなり、天気も良く、これから会津の鶴ヶ城を見学に行きます。
R118を一直線に北上すると、お城が右手に見えて来ますがこの街道も昔に比べるとかなり拡幅され走り易くなっております。
久し振りの鶴ヶ城ですが、今回は初めて南口よりの入場となります。
無人の駐車場があり、以前使った東側の博物館前の駐車場とは趣が全く違っております。
昔、下級武士がお城への通勤に使用した感じの墓地脇の通路です。

お城は大河ドラマ「八重の桜」に登場した後に、外装が一新されて白い端正な姿が青空にそびえております。
その石垣は20mもあり、幕府との戦いの折も1ケ月以上持ち堪えたそうです。
橋を渡り曾て城門があった左右石垣の道を通ると、広い城内は大勢の観光客で賑わっております。

2時には駐車場に集合ですから、余りゆっくりはしておれません。
しかし、かなりの方は天守閣に登って見て来たと、うれしそうに話しながら堀の脇を駐車場に向かっておりました。
日本の城は良いですね!

全員が駐車場をスタートしても、GSAdvが一台ポツンと残っております。
誰かな?と待っていると、ご夫婦で参加の方がのんびり手を繋いで楽しそうに話しながらやって来ました。
良いもんですね!
私は出来ない事なので、余計羨ましい風情でした!

湯川に沿って千石通りに出て、北に向かいます。
この道は30数年前から、R49から街の外を走るバイパスとしてR118と並行して造られました。
毎年少しづつ伸び、大型店が開店し、最南端には広大な運動公園と体育館等が完成し新しい会津を形成して来ました。

今日は交通量が多く活気があります。
R49を右折し郊外に向かい、古い磐梯町を通過し、ゴールドラインに向かいます。
その際にいつも左折の目印にしていたGSが、違う看板になっており一抹の寂しさを感じました。

ゴールドラインの下の方に、栄川酒造のなまこ壁デザインの新工場があり観光バスが駐車しておりました。

今回のゴールドラインは交通量が少なく、快適にゆっくり走れました。
天気良好、空いているワインディングをマイペースで遠慮なく道幅いっぱい使って登って行く。
最高です!
特にコーナー手前でス~と自然にバンクし、力強いサウンドと鼓動で立ち上がって行くフィーリングは楽しくて止められないですね!

調子に乗っていると道路を横断しているグループ発見。
ここは磐梯山への登山口になっているようです。
駐車場には車が沢山駐車しております。
この辺から少し下りに入り、今は使われていない料金所へ近づきます。

料金所跡を出て右折、緑が濃くなりR459も静かです。
噴火記念館を過ぎると3叉路があり、セブンイレブンがあります。
ここの先代が戦後兵隊から戻って、職が無いので羽田のお姉さんの嫁ぎ先に手伝いに行った氷屋が当社の得意先でした。
いつだったか話をして知り、驚いた次第です。

当社の呑兵衛の杉山君が酒の担当で、非常に仲が良く、秋元湖から移転して新店舗を構えた時に店内を案内してくれました。
現在は息子さん達が頑張って経営しております。

この三叉路を左折し、初めの二股を右に入って曽原湖に向かう途中ペンション・ラフィアの前を通過すると、駐車場では笑点のSさん達が
既に宴会を開始しておりました。

ここは年配のオジサン達の常宿で、温泉付きです。
毎年20名位宿泊します。
ここで泊ったら最後で、仕事になりません。
直行です。

キャンプ場では既に先着組がテントを張っており、当社のスタッフも資材をトラックより荷を降ろして位置決めをしていました。
シャンティーカレーのスタッフは、バスフィッシングを終えて準備開始です。

曽原湖キャンプ場は彼此14年使用しております。
それ以前は2回目位に、続橋君という日和田出身のお客さんが捜し歩き秋元湖畔のキャンプ場を見つけ、我々の条件に合うという事で使用し始めました。
25年使用いたしましたが、設備が年々老朽化してもナカナカ改善されずお客さんから苦情が大きくなってきたので、私と家内と娘の3人で探しに来て曽原湖キャンプ場を見つけました。
我々の求める条件に合い、地形的にも良しと決定し、ずっと利用させてい貰っています。
親父さんは几帳面に清潔に手入れをし、奥さんはいろいろと面倒見の良い方で
とても良くして頂いております。

東北の大震災の時には、この辺のペンションにまで被災者が多数住まっていたそうです。
裏磐梯はゴールドライン・レークライン・スカイラインと非常に良い観光道路があり震災後福島県は無料開放しております。
又、近くには沢山の温泉があり、喜多方というラーメンで有名な町もあり、ボランティアの説明員を頼むと街を歩きながら戊辰戦争の戦闘現場で当時の生々しい話が聞けたり、結構楽しめる所です。

ただし、東北弁で話すのでバイリンガルの方でないと意味不明のところが有ります。
我々は小原酒造さんの駐車場をお借りして喜多方観光を愉しんでおります。

さて、キャンプはテントを張って寝床の確保から始まります。
私のテントは中1と小5の孫が張ってくれると言うのでお客さんのテント村を挨拶しながら散策してお話しです。
オフロードのGSグループのお客さんは、キャンプの装備は充実しており慣れた手つきで用意し素晴らしい寝室が完成して行きます。
私のテントも完成間近。
ベッドの組立は私の担当です。

スタッフは忙しいです!
パーティー会場の設営は大きなイベントテントを数張建て、照明の取り付、テーブル、イス
キャンプファイヤー、飲み物、サラダ、トウモロコシ、かまどの火おこし等々。
キャンティーカレーのスタッフも大忙しです。
見ていると慣れたもんで、素早く出来上がってしまいました。

ソロソロ喉の渇いた人達が集まりだし、温泉から戻った人も集まって来ます。
私もずーと立ち話をしたり、ベッドの準備をしていたので、喉が渇いているのですが孫の厳しい監視で手が出せません。

キャンプファイヤーの炎の色がオレンジ色だけでなく、黄色がハッキリしだしたのでそろそろスタート時間です。
徐々に喉を鳴らして皆さん集合して来ました。
料理も少しづつ出揃ってきましたし、シャンティーさんも準備OK、クーラーボックスの蓋を開けると、冷えたビール等がいっぱいプカプカ浮いてます。
それ行け~でスタートです!

酒、ウイスキー等は、お客さんからの差し入れが何本もあります。
これから皆さんの賑やかな野外パーティーの始まりです!

が、どうした事でしょう?
少しずつ降っていた雨が、かなり本格化して来ました。
でも、テントの下は盛り上がり、ライダーはレインウエアー持参ですから着て来る人もあり雨はそんなに問題では無いようです。
野外パーティーの締めに行うビンゴが始まる前後に、最年長87歳のお母さんが天候不順なので息子さんと車で来たと到着。
お母さんは、いつも元気です!
この年になったら、こんな寒い山の中のテントの中で食べ物も限られてしまうのに参加してくださいます。
いつも孝行息子(?)さんのGTLで、タンデムで北海道をツーリングを愉しむ気力・体力を持ち続けている事に敬意を表します。

ビンゴが始まり、どんどんビンゴが出て行く中で、お母さんは籤運が無く結構遅くなりイライラさせてしまいました。

ビンゴが終わり、40年のご支援とご愛顧に御礼を言い、中締めとなりましたが今年は中締め後に騒ぐ人もなく、片付け仕事も早く終了。
私は我が家のテントで雨の音を聞きながら、今年購入したばかりの枕で快適にお休みなさい。
長い立ちっぱなしの一日が終了しました。

トイレに起きると雨が降り止まず、今日はツーリングが出来るかな?
諦めて直帰かな?と考えておりますと、スタッフの動き出す音が聞こえ始めました。
雨の中、2日目の朝がスタートします。

天気予報では今日一日は雨。
東京は午後は止むとの事。
これでは折角の福島のカントリーロードは楽しめないなーと考えながら、身支度を整えまずは腹ごしらえ。
シャンティーのスタッフさんは、既に暖かいご飯と豚汁そして昨夜の大好評の野菜シチュウ風の一品の残り等々を用意して待っております。
皆さんイベントテントに集まり腹ごしらえをし、次は撤収作業です。

各人テントを畳み、寝床を収納し、バイクに収納する作業を小雨の中黙々とこなします。
食事が済んだ頃合いをみて、当社スタッフはテーブル、イス、イベントテント、電灯類キャンプファイヤーの始末、各人のテントをまとめてトラックに積み込みです。

8:00 全員集合の写真を撮り、本日は雨の為、直接帰る事を伝え、帰路に着きます。

3連休を利用して東北に向かう方、いろいろプランを考えても断念する人
雨は本当に困りますね。
キャンプ場を出て猪苗代湖に向かって下りて行くと、秋元湖の入口がありました。
雨降りの日は交通量が少なく走り易く快適です。
一番近い猪苗代ICより磐越道に乗り、郡山JCTにて東北道に入り、一路東京を目指します。

帰路のスケジュールを雨で変更したのは初めてですし、朝まで降り続いたのも初めてです。
例年2日目はカンカン照りの暑い日が普通でしたので、今年は残念です。

最後の休憩・蓮田PAに着き、給油して集合場所に戻り
今回は車で参加された長老Tさんと話をしていると、なんという事でしょう!
見慣れたF700GSが給油してこちらに向かって来ます。
ご隠居Hさんです。
聞くと、二本松に墓参りに行き、今帰りとの事。
スゴイ偶然です。
ひとしきりTさん、Hさんと久し振りの歓談でした。
ご隠居とは一緒に外環の岐路まで同行し、私は羽田に一直線。
雨はすっかり止んでおりました。
お疲れ様でした。

40年目の裏磐梯キャンプ ツーリングは記憶に残る雨中のツーリングでした。

しかし、40年は一瞬でしたね!
始めた当時に生まれた娘達が、計画を取り仕切り、その子供達も一緒にキャンプして成長し
テントを張ったり、ビンゴを手伝ったり出来る様になってまいりました。

毎年毎年お客様に、今年は何時行くの?と後押しされて継続してまいりましたが毎年楽しい思い出を作ってこれたと確信し、出来る限り継続して行こうと考えております。

皆様、今年もご協力・ご参加ありがとうございました。

                             佐藤隆夫

こちらよりフォトアルバムをご覧いただけます。