2014/10/11~12
Hanehon Freedom Touring
震災被災地 福島・中尊寺・出羽三山を巡る2輪旅



今回は企画の段階からつまずき、実施2日前には台風の襲来で計画変更を余儀なくされるという、予約を担当していただく赤木閑事長には沢山の汗をかいていただきましてお疲れ様でした。

そして少し?無理な距離の計画をしてしまい、参加した皆様方には大変お疲れ様でした。全員無事に楽しくツーリングしていただきありがとうございました。

特に今年より参加されておりますR1200RのYさんが非常に安定した走りになり、スタミナも付立派なFreedomライダーに成長されたのには驚きました。

今年7月の北海道ツーリングに参加され5日間ナビのI さんの後ろでライディングをじっくり学んだとの事、今後とも安全運転でお楽しみいただきたいと考えます。

さて、まず行先を決め、宿の予約の段階で閑事長が数十件の宿に問い合わせても満員で取れないとの事で悲鳴を上げ、日程をずらすかという云う意見も出ましたが、さすがに百戦錬磨のお気楽ツーリングプロ、ビジネスホテル泊の居酒屋宴会というプランをひねりだし、古川と新潟の三条に予約を取るのに成功! 

次はナビの“九十九里の自遊人”I さんがツーリング コースを作成します。福島の飯館村を通過し、相馬の松川浦の再建した「たこ八」で昼食、仙台を経由して中尊寺、古川泊、山形出羽三山、尾花沢経由で日本海に出て三条泊、東京へという中々距離のあるコース設定となりました。

実施3日前、久し振りに30年来のお客さんK1命のAUちゃんが満面に喜びの笑みをたたえてやって来ました。久しぶりに参加したくて休みがやっと取れ、自分でホテルの予約は取ったので一緒に頼むとの事、当然ウエルカムです。閑事長に連絡し増員OK。

しかし、好事、魔が多しとはよく言ったもので、なんと台風19号の襲来です。更に900ヘクトパスカルとか言って脅してくるのです。ぎりぎりまで情報を見ながら、3日目の三条はキャンセルし、2日間のスケジュールに変更し、早速、ナビのIさんがコースの変更を実施。 これでGOです。

11日4:30 に起床し、準備完了後、谷田部東PAに向かいます。流石に3連休という事で交通量は多いのです。ここで帰路の渋滞が頭をよぎります。いつもの谷田部東PAには既に結構集まっております。今日は冬のウエア―のライニング抜きですが少し寒い位に感じます。挨拶もそこそこに朝食です。
私はここのそばが大好きです、安くて美味しいんですよ!皆さんは朝定をガッツリと食べて腹ごしらえをしております。朝定も美味そう!

トイレも済ませて集合し、出発です。久々のAUさんの参加で笑顔がはじけてます。
出発、常磐道は結構混んでます、3連休のせいでしょう、友部を過ぎた辺りでAUさんが止まっております。少し先に停車して歩いて戻ろうとすると走って来て、目の前で乗用車が右に寄って来て、逃げる間もなく接触したと云うのです、左のカウルがこすれておりますが、ここで時間がを取ると皆に迷惑を掛けるから勘弁して来たとの事、まあ転倒しなくて良かったね!と云う事でスタート、休憩ポイントで皆に報告、再スタートし、いわき湯本ICの直ぐそばでマタマタ!AUさん停止、今度は故障!しょうがない脱落です!保険会社のロードサービスを依頼し、我々は先を急がねばなりません、こんなに天気が良いのに残念でしょう! 湯の岳PAで皆さんに説明、出発、今日は先が長いのです。

磐越道に入り阿武隈高原SAで給油、この辺りは標高が高いので特に寒く感じます。
次の船引ICで降り、川俣、飯館を通過して相馬に向かいますが、除染した土砂を詰めた黒い袋が積み上げられた中間貯蔵地があり、同様の物が道路の脇にも放置され民家・店舗・工場には人影は見られません。工事関係者の車両がガンガン動いており、何か異様な雰囲気です。川俣町は以前より反って賑やかな様子です。コンビニの駐車場には大型ダンプが器用に入って車内で昼食の様子です。相馬に入り松川浦の奥の方から入って行きましたが、余り被害を受けた様には見えません。

たこ八さんは立派に再建されており駐車場も広くなって、途中の八木沢峠で抜いてきたゆっくり走行のマイクロバスが到着し年配のお客さんがぞろぞろと入って行きました、大盛況です。しかし、漁港、鵜の尾岬、松川浦と海をへだてていた砂州は復興工事中でクレーンがそびえて見られました。料理は震災前よりきれいで美味しくなったように感じましたし、ウエイターのアルバイトで頑張っている中学生が元気の良い気持ちの良い接客をしております。

昼食後は6号線を北上、軽い渋滞で海岸方面を見ると防潮堤が高く築かれ松原等の無い防潮堤しか見えない風景になってしまうようです。何か寂しい海岸線ですね。山元からは高速に乗り高い位置から右手に仙台空港、名取川等震災時の映像で見た恐ろしい映像を思い出しながら走ります。震災の5ケ月前に通過した時に見た景色と変わらない様に上辺は見えて平和な景色です。

其のまま内陸に向かい東北道に入り三本木PAにて休憩、時すでに3:30! ここから中尊寺まで行ってくると参拝もしないで戻らなければならない状況になってしまい、スケジュールの変更を余儀なくされます。古川まで後10㎞、直行組と登米の武家屋敷観光組とに分け、別れて急遽ナビのIさんに登米の武家屋敷に案内してもらう事とし、出発。 この辺りは宮城の穀倉地帯なのでしょう、田んぼが延々と続きます。多分これが伊達藩のパワーの源だったんでしょう。 登米の町に入って行くとこの町は家並みが良く、道路も広く、店舗も大きくきれいです? 交差点で隣に並んだGTLのKさんに聞くと彼もそう感じて走っていたそうです。 10㎞東に行くと小学校が全滅した南三陸町の海岸に達します。そうこうする内に古い建物が見えて来ました。

交差点に泊まると左に古い木造の学校があり、少し傾いておりますが雛には稀なモダンなデザイン!水沢県登米尋常高等小学校と古い字体の字が浮き上がった様な古い板の看板が校門に掛っておりました。聞いた事も無い水沢県?です。駐車場に止めて前を見ると水沢県登米の町役場だったという建物、今も使っているようです。

この付近は武家屋敷街だったようで立派な垣根と古い家が並んでおります。立派な門の家の前で門を誉めていると家の人がわざわざ出てきて説明してくれ、400年前の門で釘を使わずに造られていることから始まり、前の道に砂を撒いて舗装を隠し映画の撮影をした話、すぐそこの山の上にお城があった事、その山の向こうに北上川が流れ、上流より材木を流して登米が木材の集積所であった事、上町に土蔵街がありコメを集めて船で仙台に運んだ事等を話してくれました。水沢県とは宮城県となる前にこの地方の県だったそうです。

石巻に石森漫画館のある漫画家の石森正太郎の故郷は登米の石森町であり、この地にふるさと館があるそうです。小さな面白い街ですが時間なく次回ゆっくり見たい街です。

夕暮れが近づく町を後に古川のホテルに戻りますが、車の多い地方ですね!古川の町に入ると渋滞ですよ! ホテルの近くで給油してホテルへ。朝のスタート後の給油はFreedomでは厳禁です。 

ホテルに入り大急ぎでシャワーを浴び、着替えてロビーに集合し、いざ古川の町に繰り出します。 居酒屋 三陸、閑事長の選んだ地元の居酒屋、2階の部屋を借り切って大宴会、楽しく飲んで食べて話して、何分にも人の3倍の大声で三倍の量を話す話題豊富なMさんが居るので賑やかです。

ご機嫌でシャンシャンとなり皆さんホテルにご帰還です。私もほろ酔いで気分良く歩いておりましたら三陸の番頭さんが追掛けてきて料金がまだですとの事、いつもの旅館と違って払いがあったのです! 戻ってCカードを出すと現金でという事で閑事長も戻って来て金を集めてお支払、帳場のおばさんに睨まれてしまいました。ごめんなさい!

翌朝は6・7・8のスタートです。まずホテルの温泉に行き、朝風呂でリラックス!そして仲間とのお話、これが良いんですよ! レストランは満員で、外国人も結構多く賑わっております。 8時ホテル前で記念撮影後スタート。 今日も快晴!早朝のひんやりした空気を切って古川を通過して行くとTシャツ、短パンの若者達、キルティングのコートを着た女性、なんと区々な事? 

R347 を山形県に向かいます、静かな街道を景色を楽しみながら銅越峠で休憩し、この辺からは地元出身の GTのIさんがガイドです。銀山温泉に向かって行くと温泉街には入らず、右折し細い山道を登って行きます? 現地人しか知らない山道のようです。

グニャグニャとかなりの急傾斜を登って行きますと銀山温泉は遥か下界に屋根が見えます。ガイドのIさん曰く、子供の頃は自転車でこの辺まで遊びに来ていたと言うとすかさず誰かがお前道を間違ったよ!競輪の選手になっていれば年収1億だったろうに! 惜しい事をしましたね!

まだまだこの道は続くんです。途中尾花沢サーキット場の看板あり、昔2輪、4輪のオフロードのレースをやっていたサーキットとの事、今度は下りで景色が開け、ロックヒルダムの鶴子ダムに向かいます、その横にホテルがあり、そこを一回りして鶴子のIさんの実家に向かいます。村のメインストリートに面したお宅に18台の大型バイクがどやどやと駐車したので皆さんびっくりしたでしょう! Iさんのお父さんがお茶と枝まめ、煮たピーナッツで歓待してくれ、山芋とジャガイモのお土産をいただき、失礼致しました。

尾花沢に向かって下って行くとIさんの母校、鶴子小学校があり、さらに下ると徳良湖、キャンプ場には大勢キャンプしております。この徳良湖のダムを造っている時に休憩時間に日除けで被っていた笠を振り回して踊ったのが花笠音頭の発祥だそうです。尾花沢を抜け寒河江に入り道の駅おおえで休憩、賑やかな道の駅で近隣の産物が売られ、大賑わいです! GTLのNさんは試食したご飯が美味しかったとお米を購入、皆さんいろいろと試食しては買い込んで楽しみます。山形弁のアナウンスでじゃんけん大会みたいなイベントが盛り上がっております。

次を目指して出発!“五月雨を集めて速し最上川”に沿って長井を通過して米沢へ、この道路は良くなっておりますが工事の為途中川の対岸を迂回します。お腹が空いて来て米沢の食堂に到着、3連休で大忙しの為一寸待たされ、計画変更を余儀なくされ、ナビのI さんの提案で福島飯坂インターに向かい、東北道を南下と決定。

R13は良くなっておりますよ、震災時、福島市長は福島を逃げ出して米沢に逃げ、米沢から通勤していたそうです? 栗子トンネルを通過して飯坂に向かう途中右手の上方に東北中央自動車道が建設中です、もうすぐ出来るかな?

福島飯坂から東北道で一気に戻らないと大渋滞に巻込まれるという事で走りますが途中既に渋滞が始まっており、思う様に進みません。途中のPAで眠気覚ましの珉珉打破を買って飲み、眼パチクリで安全を期します。都賀西方PAにて解散とします。これは
日曜の5時からの人気長寿番組―大喜利の“笑点”の大フアンのGTLのSさんの為に始まった特例です! 

我々年寄りグループはのんびりと途中PAでトイレに寄りながら走りますが、蓮田PAに止まり、トイレからバイクに戻って、長老、ご隠居と私が話しているとナビのIさんに似た人がバイクに向かって歩いているのを見つけ、Iさんによく似ているね? でもI さんは途中でお先にと言って行ったよね等と談笑していると後ろから Iさんが現れました。やっぱりそうだったのか! しかし、どうしたの?と聞くと我々同様トイレに行っていたとの事、大笑いでした!

総走行距離 約1200km I さんは1400km!
2日間 結構走ってしまいましたね! お疲れ様でした。